トンネルを抜けるとそこは。

久しぶりに課題を溜めてしまった言い訳をつらつら。

 

 

 

これは言い訳だが、私はぎりぎりになればなるほど集中力が発揮される人間だから、

あえて、やらなければならないことを目一杯溜めることがある。

 

小学生の夏休みの宿題は、8月31日に総動員して行い、

冬休みの書初め課題は、新年が明けた、始業式の前日から夜にやるタイプだった。

 

さらに、そういうタイプの人間だとわかっているのに、

私はタチの悪いことに「こだわる人間」だった。

 

小学生の夏休みの宿題は、映画「出口のない海」に感化され「太平洋戦争」について研究をレポート20ページにしたためた。冬休みの書初めは納得いくまで書き、ほぼ毎年徹夜を経験し、学年に何人かが贈られる賞を手に入れていた。

 

本当に不器用な性格だと思う。

溜めこむ前に少しずつ取り掛かることにも挑んではみたが、どうも性に合わないのだ。私には、こつこつと食料を溜めておくアリさんにはなれないのだ。とても感覚的な問題なのだが、なんだか期間が長い分、余計に時間をかけてしまっている気がして。時間がもったいない気がして。

 

 

なぜここまで溜めこむ性格で、こだわる性格なのか。

 

またもや感覚的な理由なのだが、これに尽きる。

「達成した後の、あのやり切った感」がたまらないのだ。

 

課題が山積みで、締め切りも迫っている。でも、私が最大限できるクオリティを出していたい、中途半端は嫌だ!という思いにいる途中は、真っ暗なトンネルのようだ。

 

息苦しくて、早く出たくて、自分が納得できる出口を必死に探す。

生死(睡眠時間)をかけて、必死にもがく。

真っ暗で何も見えないけど、きっといつか、という願い事をする。

 

そうして見つけた「出口」は、眩しい。尊いとさえ思う。

 

それを知っているから、私はヤラナキャイケナイことを溜めてしまうのだ。

その、何とも言い難い「達成感」を得るために。

 

昨日の夜はシンドカッタ。でも今、納得した出口を見つけられて、睡眠不足にもかかわらず、すがすがしい気持ちでいる。真っ白な雪国でも見つけた気分だ。

 

 

言い訳をつらつら。こういうサバイバルな過ごし方もいいと思うんだ。

他人に迷惑をかけなければ!